2010年6月 7日アーカイブ

  以前、吉田秀和氏のこんな文章を読んだことがある。『演劇や音楽のような舞台芸術では準備のための稽古、練習の段階と本番との間には大きな差がある。(中略)芝居や音楽をやっている人たちはその変化、変転への期待、楽しみがあればこそ、舞台作りに励んでいるのではないかと思われる。彼らには、その違いが大きければ大きいほど楽しみも大きいのではないかとさえ言いたくなる。無から有が生まれることさえあるのだから。』(後略)(2009.1.24日朝日新聞)
 吉田氏の念頭にあるのはプロの演劇人演奏家たちだと思われるが、私たちの5月16日の演奏会にもその変化があった。特にあの倉庫のような空間での辛いオケ合わせと本番との大きな違い、オケ合わせでもゲネプロでも、そのために練習してきたのだから演奏に懸命に臨む姿勢にそれほど違いがあるとは思えない。会場の響き、練習を重ねて来た自信、満席の聴衆を前にしての適度な緊張感、その上に本番の魔法のカーテンが皆を包み込むとあんな演奏が出来るのか?
 Tanzのテンポの早い変拍子をオーケストラが巧みに演奏した後、Floret floretと歌いだしたコーラスのなんと充実した響き、そしてTe decet hymnus Deus in Zion,......の旋律は天に届いたかも知れない。これらはやはり本番の魔法...、夢の世界での体験だ。
 しかし、あれから2週間以上経った今、いつまでも夢の世界に浸っている訳には行かない。
解説を書いて頂いた大沢さんはルクス・エテルナの演奏を、このように評して下さった。「この曲の美しさに思い入れを深く持って演奏しているお気持ちが伝わってきて、良い演奏だったと思いました。それにしては、あの力演への拍手は足りません。私は聴衆に不満でした。」と嬉しいお言葉、でも「ア・カペラになるたび緊張しましたが...。」とも書かれている。
これは私たちの(下がるな!下がるな!Veni ,Sancte Spiritusにうまく繋がれ!)の思いが微かであってもマイナスのオーラとなって発散されていたのだろうか?「150人でア・カペラを歌うのだから少々の所は...」などと甘えてはいないか。ヴォイトレで常に指摘されるような「下がらない発声」「高さを維持する意志と筋力」を一人ひとりが身に付ける努力を続けなければならない。
 カルミナには聴いて頂いた方から異口同音「素晴らしい」の賛辞を頂戴したが、細かく言えば母音がつながらずブツ切れになる癖、語中の「s」は聞こえるが、語頭、語尾の子音が聞こえないのは相変わらずだったのではないか。個人的には14番の歌詞の暗記がついに出来なかったのにも悔いが残る。
 反省はもちろん必要だが、初めて取り組んだ世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」の持つ圧倒的なエネルギー、対照的に現代の響きの中の静謐、慰めに満ちた美しい曲「ルクス・エテルナ」。これらから得た大きな収穫を糧に、次の曲に向き合える幸せを噛みしめたい。

                                                                                                               バス 鈴木 愼吾

湘南フィルハーモニー合唱団
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