<リーダー会通信 #5> 考えることの大切さ

 丁度,シューベルト期の演奏会に向けて仕上げの練習をしていた頃、ナチスの戦犯アイヒマンの裁判レポートの経過を描いた映画「ハンナ・アーレント」を,岩波ホールで見たことを今でも鮮明に覚えています。

 ハンナ・アーレントは、ドイツ系ユダヤ人で高名な女性哲学者です。自身ナチスに迫害され,アメリカに亡命しました。そして、1963年、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して書いたリポートが、ナチスの罪を軽視したと全世界から非難を浴びました。

  アイヒマンに対するアーレントの第一印象は,少しも不気味ではなく,非人間的でもな
く,理解を絶してもいないことでした。アーレントは,ザ・ニューヨーカ誌に掲載されたレポートで,ホロコーストという巨悪の遂行において,アイヒマンの果たした役割は,人間としての思考を放棄し,命令を盲目的に実行した小役人というべきものであり,その悪は陳腐なものと主張しました。その衝撃的な内容に世論は揺れ,特に,ユダヤ人からのバッシングを引き起こし,ナチスに迫害されたハンナに対しても容赦ない非難の声が浴びせられました。古くからの友人を失っても尚,哲学者としての信念を貫くハンナの姿は,見る者の心を打たずにはいられませんでした。 政治家や学者,そして市民の「凡庸なる悪」の積み重なりが巨悪を招く例は,原発事故など枚挙にいとまがありません。「凡庸なる悪」が巨悪に加担することのないよう,歯止めとなる「良心」をどう涵養するのか。永遠の課題といえるでしょう。

 特に感銘を受けたのが、アーレントが『考えることで強くなる』と学生たちへの講義で
説く場面です。

「ソクラテスやプラトン以来,私たちは"思考"をこう考えます,自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは,人間の大切な資質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果,モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると,平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例のないほど大規模な悪事をね。私は,実際,この問題を哲学的に考えました。"思考の嵐"がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり,美醜を見分ける力です。私が望むのは,考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても,考え抜くことで破滅に至らぬよう。」
 私たちは前近代社会の人々よりも高度な文明を持っており優れていると思い込みがちですが,新聞やテレビ等の報道が氾濫し,インターネットによりあらゆる情報を手軽に収集できるため,思考が次第に単純化し,複雑な事象を自分で考え抜くことが苦手になっているような気がします。

 日々の合唱の練習風景に当てはめると,指揮者の指示事項を一生懸命聞いてメモをとるだけで精一杯の自分に気づかされます。何か分からないことがあるとネットで検索して満足してしまう。人の受け売りではなく、本当に自分で考え抜いたことがあるのか?

 指揮者から同じ注意を何回も受けるという問題があります。時間が立つと忘れてしまうという,情けない事態の他,以前の曲や,同じ曲の他の箇所で指摘されたことを自分のものにしていれば,応用が利く場面で,応用できないという問題です。

  どんなに忙しくても最低1週間に1回位は自宅で楽譜を開いて,練習で指摘された事を復習する時間を持ちたい。そして,指揮者が指摘されことを自分なりに掘り下げ,自分のものとして消化するようにしたい。更には、自分はどのように歌いたいのか自分なりに考え抜きたい・・・「言うは易く行うは難し」ですが、私はあらためてそう思います。
(バス)F.H

湘南フィルハーモニー合唱団
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