学生時代に歌って以来、30年ぶりの『水のいのち』、感動でした。高田三郎氏がこの曲にこめていたものが次々と明かされていく・・・グレゴリオ聖歌の昔から、言葉があることでバラバラの音が有機的につながっていく、その教会音楽のありようを日本語でも体現しようとした。言葉の表している情景あるいは情感をくっきりとイメージする。怒り、畏れ、優しさ・・・悠久の時間に思いを馳せ、小さな命にもまなざしを向ける。本当にその気持ちになれば音色は変わる。音量の大小でない強弱の表情、ピアノが表現しているもの。なによりも自分の言葉で語ること・・・。
雨森先生の目にこもっている力の強さ、本当にそう思って本当にその音色を引き出そうとしている真剣な姿、たった1回の短い時間の講習会にもありったけ注がれる熱いエネルギー、歌いながら最後はボロボロ涙が出てきてしまいました。雨森先生の合唱団がいつも生き生きと自分たちの歌を歌っていることが納得納得!できます。一人ひとりの音色の違いが大切、初めはバラバラでも必ず合うようになる。そういっていただくと勇気百倍になります。
・ひとりひとりが本当に思う・・楽譜から自分でどれだけ情景やイメージを汲み取れているか、与えら れるのをひたすら待っていないか
・最低限ニュートラルな発声ができていれば大丈夫・・あぁ、それが難しいんだってば・・
・聞き合い合わせようとする耳、やろうとしていることを分かり合おうとする知性も必要
ことはそう単純ではないのですが、希望は大いにありますよね!!自分たちが今何を歌っていて、どう歌いたいのか、どこへ持っていきたいのか、ちゃんと意識を持って歌う。それだけで、ぐんと説得力のある音楽になりそうな気がします。今度の練習で、ぜひぜひやってみよう!
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