オラトリオ「聖パウロ」の序曲には、コラール「目覚めよ!と呼ぶ声あり」のモチーフが採用され、そのコラールは、第一部のクライマックス、サウロ(後のパウロ)が、天からの神(イエス)の声を聞く場面で歌われる。それはあたかも、サウロに、キリストへの信仰に目覚めるように歌っているようで、非常に示唆的・暗示的である。
そして、私達・湘フィルにも、「目覚めよ!」と呼ぶ声が与えられたのだ、と思う。
1月15日、今年2回目の練習で、先週マエストロからお叱りを被ったばかりだ、というのに、またもやお叱りを被ってしまった! それほどヒドイ出来だった・・・準備(予習)せずに練習に来たな、と言われても釈明できないような・・・。 しかし、出来の悪さもさることながら、真に問われているのは、私達の音楽・合唱への取組み姿勢・・・主体性、自主性、自発性といったもの・・・であると思う。
湘フィルはあまりにも、ただ口をあけて、親鳥がエサを運んでくるのを待っている「ヒナ」状態に、慣れ過ぎたのではなかろうか? それでは成長は無い。 やるべき事、やらねばならない事は見えている。どうして、それを自分からやろう、としないのか?
昨年の東日本大震災の後、私達は、歌える事、練習ができる事、の幸せをしみじみと感じ、感謝した。 であればなおのこと、一回一回の練習を「一期一会」と思い(もしかしたら次の週は練習ができないかも知れない)、悔いのないものにしなければ!
昨年末の練習納めのマエストロや先生方のスピーチから、今年初めのお叱りは、まさに湘フィルにとっての「目覚めよ!」と呼ぶ声であり、天の啓示であろう。
またマエストロは「一人一人の小さな努力が、160人全体での大きな前進になる」とも仰った。然り!要は本当に各自が「やる」ことである、と思う。
みなさん、自分自身が「幸せ」と感じられる良い演奏を目指して、心・気持を引き締めて、頑張りましょう。 よろしくお願いします。
以上、自省、自戒をこめて。
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